「しらたま」「雅(みやび)」「ひなあられ」「てまり」……。
まるで和菓子のような名前を持つこれらの美しい花は、すべて國枝啓司氏が生み出したオリジナル品種のバラ「和ばら」です。
その独特な世界観と優しい花姿で、国内外のフラワー業界を魅了し続けている彼は、一体どのような人生を歩んできたのでしょうか?
この記事では、國枝啓司さんの経歴や学歴、気になる家族(妻・子供)、そして大きな影響を与えた父親の存在について詳しく解説していきます。
國枝啓司とは何者?
國枝啓司(くにえだ・けいじ)さんは1956年、滋賀県守山市に生まれました。
現在はRose Farm KEIJI(ローズファーム・ケイジ)の代表であり、「和ばら」という独自ブランドのバラを世に送り出しているバラ育種家として知られています。
バラに人生を捧げた育種家
國枝さんの手がける「和ばら」は、一般的なバラとは一線を画します。
繊細で優しい中間色、幾重にも重なった花びら、そしてしなやかに風になびくその姿は、「日本の美意識」を花に宿したかのよう。
彼のモットーは「きれいなバラではなく、かわいいバラをつくりたい」。
この一言に、彼の哲学と情熱のすべてが詰まっています。
國枝啓司の経歴と学歴
学歴は公表されていない
國枝さんの学歴に関する情報は公式には明かされていませんが、高校卒業後に実家のバラ園に就職したと見られています。
大学進学よりも、実家の事業を継ぐことを選んだようです。
1976年:父のバラ園でキャリアスタート
國枝さんが育種の世界へ入ったのは、**1976年(20歳)**のこと。
父・國枝栄一さんが経営するバラ園に就職し、現場での経験を積み始めます。
1981年:ヨーロッパ研修で世界の花文化を学ぶ
1981年には、ヨーロッパへ渡り、先進的な育種技術や花に対する思想を学びました。
このときの経験が、彼の育種家としての方向性を大きく左右することになります。
「世界中の花屋さんに自分のバラを届けたい」という思いを抱いたのもこの頃です。
2003年:「Rose Farm KEIJI」設立
2003年、独立してRose Farm KEIJIを創設。
そして、長年温めてきた「和ばら」の育種に本格的に着手します。
この和ばらシリーズは、2025年時点で約100品種にも及び、国内外の花市場で高い評価を得ています。
國枝啓司の家族構成:妻や子供はいる?
妻についての情報
國枝啓司さんの妻(奥様)に関する詳細な情報は、公には出ていません。
ただし、インタビューやSNSなどでときおり「家族」の存在を感じさせる発言があるため、既婚である可能性は高いと推測されます。
Rose Farm KEIJIの活動は非常に家庭的な雰囲気があり、家族ぐるみでの運営も想像されます。
子供について
滋賀県守山市のバラ園「ローズファームケイジ」の育種家・國枝啓司(くにえだけいじ)さんは、30年以上にわたり新しいバラの品種づくりに取り組んできました。そんな啓司さんの志を受け継ぎ、現在は息子の健一(けんいち)さんが二人三脚でバラづくりに励んでいます。
息子・國枝健一さんもバラの育種家に
國枝健一さんは、大学卒業後に一度は一般企業で働いていたものの、2006年から家業であるバラ園の仕事に加わり、本格的に「和ばら」の開発に関わるようになりました。若い感性を活かして、市場のニーズを分析した商品企画や、ホームページの開設、農園見学ツアーの企画なども手がけ、事業の幅を広げています。
また、守山市の「あまが池プラザ」内にあるカフェ「SiEMA CHERiE(シェマシェリ)」では、バラを使ったブーケ作りレッスンも開催し、一般の人々にも「和ばら」の魅力を届けています。
父・國枝栄一とはどんな人物だったのか?
國枝啓司さんのバラ育種家としての人生に、大きな影響を与えた人物が父・國枝栄一氏です。
栄一さんは、地元・滋賀県守山市でバラ園を営んでおり、啓司さんがこの世界に入るきっかけを作った人物でもあります。
若き日の國枝啓司さんは、父のバラ園で働きながら、ビニールハウスの片隅で密かに育種を始めました。
「プリンセスマサコ」の誕生秘話
1993年、天皇陛下と雅子皇后のご成婚を記念し、啓司さんが作ったバラ「プリンセスマサコ」が献上されたというエピソードもあります。
この名誉は、父の代から続く信頼と技術の証でもありました。
世界へ羽ばたく和ばら
國枝啓司さんの「和ばら」は今や、海外8か所の提携農園でも生産され、世界中のフラワーショップに並ぶようになっています。
特にヨーロッパやアジアでは、「ジャパニーズローズ」として高く評価されており、日本の美意識を代表する花として人気を集めています。
終わりに|一輪に込めた人生
「思い描く理想の和ばらが咲くまで25年かかった」という國枝啓司さん。
その忍耐と情熱、そして一輪一輪に注がれる深い愛情が、今の「和ばら」を支えています。
バラという一見華やかな世界の裏にある、地道で気の遠くなるような作業。
それを43年以上も続けてきた國枝啓司さんの人生は、多くの人に「花の奥深さ」と「日本人の誇り」を伝えてくれています。
これからも新たな品種の誕生とともに、彼の物語は続いていくことでしょう。
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